ミツマタはどんな木?花言葉は?和紙や紙幣の原料?花や葉、実の特徴も解説!
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こんにちは!樹木博士です!
今回は「ミツマタ」という樹木について解説します!
ミツマタはあるものを作るのに重宝されているものなのですが、それが何か知っていますか?
ヒントはミツマタの別名にあります。
その別名は「カミノキ」。
あなたは何を作るのに重宝されているか分かりますか?
あなたに伝えたいこと
ミツマタの花言葉は?
ミツマタの花言葉は、たくさんあります!こんなに花言葉の多い樹木は珍しいと思うほど。
それぞれに意味が込められているようですから、ミツマタの花をプレゼントに使う時には花言葉を踏まえて贈りたいですね。
では、それぞれの花言葉を解説していきます!
まず「肉親の絆」、これは3本に分かれた枝を両親と子にたとえたものです。
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枝先が3本に分かれて3つの花をつけていますね。
そして「永遠の愛」、冬枯れの中で、枝先に咲くふんわりしたと花の姿から、両親と子が何代も続くようにとつけられたと言われます。
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この2つは、家族に対して贈るのにぴったりな花言葉ですね。
「強靭」「壮健」という花言葉は、ミツマタの樹皮の繊維が強くてしなやかであるところから、つけられたと言われています。
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これは、あることに使うため、樹皮を乾燥させているところです、何に使うんでしょう?このあと解説していきます!
「強靭」「壮健」の花言葉は、健康を褒めたい時や健康であって欲しい時に使いたいですね。
そのほかには、「意外な思い」「意外なこと」「豊かな力」「心の美」「淡白」がミツマタの花言葉とされています。
さて、ミツマタの樹皮は、何に使われているのか予想できましたでしょうか?
ミツマタは和紙の原料!?
ミツマタの「強靭」な繊維質の樹皮は、紙の原料となります。(強度が高く、質の良い紙の原料として有名です!)
別名「カミノキ」と呼ばれるほど。
和紙の3大原料、楮・三椏・雁皮のひとつです。(って、私は読みがわかりませんでしたw)
それぞれ、楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)、雁皮(ガンピ)と読みます。
真ん中の三椏がミツマタだったんですね、和紙の原料として古くから重要な樹木とされています。
古くから、といっても、いつ頃から使われていたのでしょう?
ミツマタが紙の原料として明確に表わされている最初の文献は、慶長3年(1598年)に遡ります。
徳川家康がまだ将軍になる前、伊豆修善寺の製紙工、文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状(諸大名の発行する公文書)がそれです。
書状には、「豆州ニテハ 鳥子草、カンヒ ミツマタハ 何方ニ候トモ 修善寺文左右衛門 ヨリ外ニハ切ルヘカラス」とあります、(鳥子草は原料を意味するといわれる)、カンヒ(雁皮)とミツマタの伐採を、文左右衛門さん以外は禁止するという書状だとわかりますよね。
当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていたようです。(偽の書状を防ぐため?って思ったら、この書状自体が偽書だと、江戸時代に訴訟も起こされたとか… )
昭和61年3月8日に伊豆市市指定書跡典籍古文書となり、修善寺郷土資料館に展示されている書状(個人蔵)
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「伊豆市役所」より引用
現存しているんですね、ちょっとびっくりw。
なので、ミツマタが和紙の原料として使われはじめたのは、一般的には16世紀(安土桃山時代)になってからであるとされています。
しかし、600年代には既によく知られていたミツマタが、和紙の原料として使われなかったはずがないという説があります。
より古くは万葉集(詠まれた和歌は600年代後半から700年代後半のものを集めたとされる)にもミツマタを詠み込んだ歌が2首あるんです。
「春されば まずさきくさの 幸(さき)くあらば… 」(詠み人は、かの有名な柿本人麻呂)にある「さきくさ」は、その枝が三つに分かれているところから「三枝」と漢字を当てた「三椏(ミツマタ)」のこととされています。
実際、平安時代(794年~1192年頃)の貴族たちに詠草料紙(えいそうりょうし・個人の和歌、歌集用の紙)として愛用された斐紙(ひし・雁皮紙(がんぴし)の古名)は、その名の通り雁皮を用いたものとされていますが、雁皮も、ミツマタと同じジンチョウゲ科… 。
古い時代には、植物の識別が曖昧で混同することも多かったため、雁皮もミツマタも原料となっていた紙を、斐紙と総称していた可能性もあるんです。
安土桃山時代以前には文献に、紙の原料としてミツマタという名がなかったのも確かで、後に植物の知識が増えて、雁皮とミツマタを識別するようになったとも考えられています。
つまり、はっきりした文献はないものの、平安時代の雅な詠草料紙の原料は、雁皮だけでなくミツマタも使われていたのかも知れません。(平安朝で、贅を尽し趣を凝らした和紙に詠んだ和歌をさらさらと筆で書きつけている貴族の姿を思い浮かべると、源氏物語絵巻を連想したりして、その優雅さにため息が出ませんか?… って大げさですねw)
詠草料紙 ↓↓↓↓
1829年頃までに佐藤信淵(さとうのぶひろ・江戸時代後期の農政学者)の書いた本、「草木六部畊種法」(そうもくろくぶこうしゅほう)があります。(公刊されたのは明治時代)
この本の中では、「三又木の皮は 性の弱きものなるを以て 其の紙の下品(品質が低いという意味)なるを なんともすること無し」として、楮と混合して用いることを勧めています。(ということは、当時、ミツマタだけでは丈夫で高品質な和紙が作れなかったようですね)
では、三椏紙(みつまたがみ)っていう紙が現在でもありますが、いつ頃から作られるようになったんでしょう?
明和年間(1764年~1772年)には既に甲斐国(かいのくに・現在の山梨県)や駿河国(するがのくに・現在の静岡県中部)で三椏を用いた和紙(駿河半紙)が作られていたといわれますが、当初は楮や雁皮の代替品だったようです。
1783年に渡辺定賢(わたなべさだかた・江戸時代の農民で駿河原村(現在の静岡県富士宮市)の名主)が、富士山麓で群生しているミツマタを発見、これを原料にして駿河半紙とよばれる和紙の生産に成功し、本格的な生産が当地で開始された、と言われていますから、この頃ですね。
今も作られている三椏紙(書道用などに市販されていますが、写真は伝統工芸展の受賞作です。)
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「日本民藝協会」より引用
1836年に大蔵永常(おおくらながつね・江戸時代後期の農学者、農業技術の指導と進歩に貢献した人物)が書いた「紙漉必要」という本があります。
その本には、ミツマタについて「常陸、駿河、甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」と記されています。(現在の茨城県北東部、静岡県中央部、山梨県で作られていたんですね。)
「 …先ず水見立てること第一なり」ともあり、まず、きれいな川の水があることが紙漉きに適した地の条件だったことがわかります。
武蔵の中野島(むさしのなかのしま・現在の神奈川県川崎市、すぐ近くを多摩川が流れていますね)付近で漉いた和唐紙(わとうし・中国の唐紙に似せて作った大判の和紙で、江戸後期に創られたといわれる)は、このミツマタが主原料でした。
だんだんと品質は向上していたようですが、その時代の専門家から見れば、ミツマタのみで作った和紙は弱いので、楮と混ぜることを勧めたくなるくらいだったのでしょう。
しかし、明治時代になってから、紙の原料としてのミツマタに対する見方がガラリと変わります!
その理由とは?次の章で解説していきます!
現代の手漉き和紙では、楮に次ぐ主要な原料となっています。
手漉き鳥の子和紙ふすま紙の主原料は、ミツマタなんですよ!(本鳥の子と呼ばれるものが手漉きです)
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「ふすま紙検索」より引用
ミツマタは紙幣の原料!?
ミツマタは、明治12年に、紙幣に使われるようになったんです。
江戸時代の学者さんから、ミツマタで作った紙は品質が弱いから楮を混ぜるようにと言われたほどだったのに、なぜ?
明治時代になってから、政府は雁皮を使い紙幣を作ることを試みたのですが、雁皮は栽培が困難であるというネックがあったんですね。
そのため、栽培が容易なミツマタを原料として使えるようにと研究した結果、明治12年(1879年)に苛性ソーダ煮熟法を活用することで、で、日本の紙幣に使用されるようになったんです。
苛性ソーダで煮ると、原料のミツマタ樹皮に含まれている繊維ではない物質が水溶性に変わるため、でんぷん、ペクチン質、糖分、蝋分などの微量要素を流し去ることが可能となり、高品質な繊維のみを取り出すことが出来るようになったんですね。
これでもう、「三又木の皮は 性の弱きものなる… 」なんて言わせませんよ、紙幣の原料で~す!
ミツマタは栽培しやすいだけでなく、虫害にも強いこと、こすれや折り曲げにも強く、しわになりにくいということも紙幣の原料に採用された理由に挙げられます。
それだけではなく、機械漉ができること、繊維が短く弱いが紙にすると艶がありしなやかで美しいこと、精巧な印刷にも耐えて、すかしが入れ易いこと、弾力性に富み、耐伸強度も強いという数多くの利点を持っているんです。
最初の章 1:ミツマタの花言葉は?で、「肉親の絆」・「永遠の愛」という花言葉がありました。
その由来にはもうひとつ、ミツマタを使って作られた和紙は、虫の害にも強く、長期保存ができるところから、長く続く縁や絆が連想され、つけられたという説もあります。
ミツマタを使った日本の紙幣は世界でもその優秀性が認められているほど。
国立印刷局は周囲にミツマタをたくさん植えており、「ミツマタは紙幣の木」という説明する板があります。
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ミツマタを原料とした紙幣が作られてから、ミツマタの利用度は非常に高くなっていきました。
紙幣以外にも、証紙・証書など重要書類に使われるほか、地図用紙・コピー用紙など各種の紙とその原料として現在でも幅広く使われています。
国立印刷局に納めるミツマタを「局納みつまた」と呼んでいるのを知ってましたか?(とっても硬い感じの呼び方ですね。)
この「局納みつまた」は、2005年の時点では島根県、岡山県、高知県、徳島県、愛媛県、山口県の6県が生産契約を結んで生産していました。
気になる納入価格は?というと、山口県を除く5県が毎年輪番で印刷局長と交渉して決定していたとのこと。
しかし、2005年度以降は生産量が激減してしまったんです。
理由は、生産地の過疎化や農家の高齢化と後継者不足、せっかく紙幣に使われるのに、生産する農家自体が減ったのは、もしかすると、納入価格が農家の手間に見合ったものではなかったのかも?と思ってしまいます。
2016年の時点では使用量の約9割がネパールや中国から輸入されたもの。
国内での生産は、岡山県、徳島県、島根県の3県だけで、出荷もこの3県の農協に限定されている状況です。
ちなみに、紙幣に使われている主な原料は、国立印刷局によるとミツマタのほかにアバカ(マニラ麻)が使われているということですが、そのほかに使用されている原料や配合比率は国家機密のため、公表されていません。(1万円札は約10%がミツマタと言われています)
この原料と比率は、明治12年に採用されてから、なんと現代までほぼ同じ!偽造防止技術にも対応できる適度な厚みが特徴です。
あれ?ここまで、和紙とか紙幣とか、ミツマタを使った製品ばかり見てきましたが、肝心のミツマタの木ってどんな樹木?w
ミツマタってどんな木なの?特徴は?
ミツマタ(三椏)は、ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木(冬になると葉が落ちる、高さ約3m以下の木)です。
原産地は、中国中南部、ヒマラヤ地方とされています。
枝が3本ずつ分岐するのが特徴で(不思議ですね~)、名の由来でもあります。
ミツマタの枝先です、うん、3本に分かれていますね。
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ミツマタの木は、このように半球型の樹形になります。
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漢字で「三椏」とも書きますが、「椏」には「木の股」の意味があるんです。(初めて「三椏」という漢字を見た時は、何と読むのかわかりませんでしたが、木の股が三つに分かれるからミツマタ、これはストレートに名付けられましたねw、でも覚えやすいです!)
樹形のまとまりがよくて花もきれいなので、庭木や鉢花、盆栽などにもよく使われています。
花もきれい?花言葉の解説でちらっと花の写真を見たような気がしますが、もっとよく見てみたいですよね?
ミツマタの花の開花時期や特徴、香りは?
ミツマタの開花時期は、3月~4月頃です。
花序(かじょ・枝の上での花の並び方)は頭状花序(多数の花が集まってひとつの花の形を作るもののこと)で、下を向いて咲きます。
花の色は、黄色で蜂の巣がぶら下がったような形。
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この花には、よい香りがあります。
密集して咲いていますが、よく見ると花弁(かべん・はなびら)がなく、4枚に裂けて反り返った萼片(がくへん)が集まっているんです。
萼片の内面は黄色で、外面は白く細い毛が密生しています。(雄しべは8本あるんですがよく見えるのは4本です)
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花びらみたいに見えるけど、萼なんですね。
この花は、外側から咲き始め、30個ほどの小花が集まって大きく丸くなります。
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葉っぱが無いのには気がつきましたか?
ミツマタの花は、新葉が芽吹く前に咲きます。(花期には枝と花だけ)
花が葉っぱで隠れることがないので樹全体が色づいたようになります。
群生地の満開期、キレイですね~!
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このように、ミツマタの花が咲いている時期に近くを通りかかると、気分が和らぐような甘い香りが漂ってきますが、沈丁花(じんちょうげ)にくらべると控えめな香りです。(その年によって、香りがあまりしないこともあるとのこと)
「三椏の花」は春に咲くことから、俳句では仲春(啓蟄・3月6日頃~清明の前日・4月4日頃)の季語とされています。
ではここで一句… 、って詠んだりしませんので安心してくださいw。
花芽は秋に枝の先端に作られています。
昔は、あたかも春を告げるかのように淡い黄色の花を一斉に開くため、「先草(さきくさ)」と呼ばれていたようです。
他にも、ミツマタが縁起の良い吉兆の草とされていたため「幸草(さきくさ)」と呼ばれたと言われています。
縁起が良い樹木なんですね、生け花にもよく使われたりするのでは?
やっぱり!
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花材としては、時期が限られていること、生けている時によい香りがすることから、珍重されているようです。
最近では、花よりも枝の皮を剥いで漂白した物(さらし三椏)が生け花に使用されています。
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自然の枝の形と人工的な白い色で、独創的な生け花ができるということから人気となったようです。
ミツマタには一般的な黄色のミツマタと、赤いベニバナミツマタがあります。
園芸用に改良された品種かと思いましたが、第二次世界大戦後に四国の栽培地で発見された突然変異種だとのことです。
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花の後には実ですよね?ミツマタの実ってどんな形をしているんでしょう?
ミツマタの実の時期や季節、特徴は?
ミツマタの実は核果(かくか・水分を多く含んでいて中に種が1つある果実)です。
毛の残った萼筒(がくとう・萼が接着して筒状になったもの)で包まれています。
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7月頃に熟し、緑色で長さ4mm~5mmの紡錘形(ぼうすいけい・円柱状でまん中が太く、両端がしだいに細くなる形)をしています。
↓↓↓↓ (熟しても緑色です)
これは食べちゃダメ!有毒です!
猛毒ではありませんが、全部位に毒があり、葉も花も食べられません!
葉にも毒があるんですね~、じゃあ、しっかり葉の特徴も押さえておかないといけませんよね!
ミツマタの葉の特徴は?
ミツマタの葉は、細長い楕円形で、長さは10cm~20cmほど。
薄い葉で表側は緑色、細かい毛があります。
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葉序(ようじょ・枝に対する葉のつき方)は互生(ごせい・ひとつの節に1枚の葉が、たがいちがいにつくこと)です。
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「コトバンク」より引用
裏側には細かい毛が密生していて白っぽい色をしています。
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これで葉の特徴もわかりましたし、とにかく枝が3つに分岐しているので見分け方は大丈夫ですよね?
でも、どこに生えているんでしたっけ?
ミツマタってどこに生えているの?
ミツマタは、本州、四国、九州、沖縄 の各地で植えられ、育てられています。
日本に渡来して以来、植栽されてきましたが、山野に野生化しているものも多いんです。
日なたから明るい日陰まで幅広い場所で育つことができ、水はけがよく、肥沃な土を好みます。
まとめ
この記事ではミツマタについて解説していきました!
最初は花言葉と、その由来など。
・「肉親の絆」「永遠の愛」は、3本に分かれた枝を両親と子にたとえて、何代も続くようにとつけられた説。
ミツマタで作られた和紙が長期保存できるので、長く続く縁や絆が連想されつけられたという説がありました!
・「強靭」「壮健」は、ミツマタの樹皮の繊維が強くてしなやかであるところからつけられたということでしたね。
・そのほかに「意外な思い」「意外なこと」「豊かな力」「心の美」「淡白」というたくさんの花言葉を持っていました!
そして、用途は
・和紙、紙幣の原料として使われている
・樹形や花がきれいなので、庭木としても植えられている
でした!
特徴については
・枝が3つに分岐する
・花は黄色(または赤)で春先に咲く
・実は7月頃熟し、緑色の細長い楕円形
・葉は薄くて緑色、細かい毛が生えていて裏側は白っぽい
でしたね!
最後に、生えている場所は、
・現在では本州、四国、九州、沖縄 の各地
でした!
今でも作られているミツマタを原料とした手漉き和紙、和の趣があって落ち着きを感じるというか、なんともいえない良さがありますね~。
伝統工芸としていつまでも受け継がれていってほしいなあ、としみじみ思いました!
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この記事を書いた人のプロフィール
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どうも!樹木博士です!樹木にハマってから早40年以上。
小学生のときから、なぜか樹木が大好きでした。周りの子たちが スポーツやら恋愛やら遊びやらに励む中、私だけは樹木に夢中。
そんな風に育ったので、もちろん青春と呼べるような経験はほとんどありません。ただ、樹木に関しての知識や経験はたっぷりですw
樹木事典では私の樹木人生で得た知識や経験などを惜しみなく公開していきます!
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